【台南移住1周年記念③】20世紀の話をしよう!僕と台湾を繋いでくれた「ヒトとモノ」

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こんにちは!

日本も台湾も3連休明けですね。程々にやり過ごしましょう!今回のテーマは今月3本目の「台南移住1周年記念」記事です。この記事含めあと2本書きます!

需要がなさそうなので、書くか迷うのですが、1周年記念という事でお許しください。また、自己紹介的な要素も少し入っています。

9月15日に女優の樹木希林さんがお亡くなりになりました。僕は、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作の「万引き家族」を、日本へ一時帰国時に映画館で観ました。

是枝監督作品最後の出演だった樹木さんの演技は圧巻でした。あと、リリーフランキーは日本最高峰の俳優だと思いました。

僕が好きな是枝作品は、2011年に公開された「奇跡」です。「奇跡」にも樹木さんは出演しています。「鉄道好き」「くるり好き」の僕には堪らない映像と音楽であるうえ、

奇跡を願う子供達の純粋さ、成長、人間のはかなさ、そして未来への希望が感じられるストーリーに、東日本大震災直後だったこともあり涙したことを覚えています。僕の人間形成に影響を受けた映画だと思います。

樹木さんの死をきっかけに、影響を受けたヒトやモノを思い返しているうちに、僕と台湾を繋いでくれた「ヒトとモノ」は、10代だった20世紀に出会った事に気がつきました。

台南在住1年。僕を台南へ導いてくれたヒトとモノを、時計の針を20世紀に戻し紹介したいと思います。

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皆さんは何年前から台湾が好きですか?

本ブログを始めて1年。メッセージをいただける機会も増えてきました。大変ありがたく嬉しいです。

メッセージいただく方々の年代から推察するに、本ブログの読者は30代以上が圧倒的に多く、もしかしたら20代読者はいないかもしれないと思えます。

まあ、ブログを書いている僕が若くないので当然といえば当然ですよね!

という事は、ブログ読者さんは、前世紀の世紀末、既に大人、又は、分別の付く年頃だった人が大半なのではないでしょうか?

読者の方は、台湾好きが当然多いと思います。皆さんは何時から台湾に関心がありますか?

僕と台湾を繋いでくれたヒトとモノを読んでもらって、「懐かしい!」とか「そうだったよね!」とか、中年同士盛り上がれたら良いなと思います!

20世紀、10代の僕が触れた台湾は?

僕が高校生から大学生だった頃は1990年代後半でした。

当時、バブル経済は崩壊しており、バブルの処理を先延ばししたつけが回り、都市銀行「北海道拓殖銀行」破産、山一證券の自主廃業などの金融危機があり暗い時代でした。

その頃の僕は、高校時代から付き合っていた彼女に夢中で、渋谷系の音楽を愛しメンズノンノを読みながらお洒落をしようとしてたバカ高校、大学生でした。

そんなダラダラな生活の中で、現在の台湾好きのきっかけとなる2名の人物と1つの物との出会いがありました。次の章でそれぞれ説明します。

僕と台湾を繋いでくれた「ヒトとモノ」

①故 大豊泰昭(元中日ドラゴンズ、阪神タイガース選手)

中日ドラゴンズの地元、東海地方で生まれ育ち、小学生の頃はドラゴンズ帽を被って登下校していた僕。根っからの中日ドラゴンズファンでした。

台湾中部南投出身の大豊選手は、20歳で名古屋商科大学へ進学、卒業後、日本人枠でプロ野球選手になるため中日の球団職員を1年経て、中日に入団した苦労人です。

90年代前半の名古屋球場時代に大活躍しますが、名古屋ドーム移転後、機動力を生かすチーム方針に合わず、阪神へトレードに出されてしまいます。

プロ野球選手生活の最後は中日でプレーをして引退。その後、飲食店経営や解説者として活躍しますが、白血病のため51歳の若さでこの世を去りました。

同胞の王貞治に憧れ、1本脚打法でホームランを貪欲に狙い、練習熱心で真面目な姿は、僕に「台湾人は真面目で誠実」と教えてくれた人物です。

②金城武

アジアが誇るスーパースターです。90年代に台湾好きになった人であれば、「きっかけは金城武!」という人は、特に女性に多いのではないでしょうか。

ウォン・カーウァイ監督作品、「恋する惑星」「天使の涙」での金城武は衝撃的に恰好良かったです。僕もレンタルビデオで観た「恋する惑星」で一気にファンになりました。

更に印象に残っているのは「日本アジア航空(JAA)」のCMキャラクターを長年務めていた事です。

若い方は、日本アジア航空(JAA)という航空会社をご存知でしょうか?政治的な配慮で設立された、現存しない航空会社です。

かつて、政治的な配慮の為、中国本土に乗り入れる日本の航空会社は、台湾に乗り入れる事は出来ませんでした。つまり、JALやANAは台湾へは就航していませんでした。

そのため、日本航空は、台湾に乗り入れる為だけの航空会社「日本アジア航空(JAA)」を設立、台湾路線のみに特化した航空会社として運営していました。

ちなみに、羽田空港が国内線専用空港だった時代、チャイナエアラインやエバー航空のみが羽田空港から国際線を運行していました。成田空港が利用できなかったからです。

何故ならば、成田空港で、台湾の飛行機と、中国の飛行機と隣合わない為の政治的配慮です。今になって思うと、台湾への凄い差別がつい最近まであったのです。

政治的配慮から生まれた日本アジア航空ですが、台湾路線に特化した会社だけに、広告も台湾に特化しており、ウェブサイトの台湾情報も充実しており、僕は好きでした。

永らくイメージキャラクターを務めていた金城武出演のテレビCMの出来はよく、CMを見る度に台湾への思いを強くしたものです。

印象に残っているCMのコピーは「近くて近いね!日本と台湾」です。1998年のCMがYOUTUBEにあったので、リンクしときます。20年前の台北の映像は結構面白いですよ!

金城武は「日本と台湾を近くした凄い人」であり、僕が大学生の時にもっとも憧れた俳優であり、僕にとっても台湾を身近にしてくれた人です

③台湾ラーメン

ケンミンショーみたいで嫌ですが、今では名古屋めしとして全国的な知名度を誇る「台湾ラーメン」。そしてその発祥の店「味仙」。

しかし20年程前は、ローカルフードとしても、それほど有名ではなかったです。

大学に入学したての春、名古屋出身の同級生に今池の味仙へ連れていってもらって、初めて食べた「台湾ラーメン」と「青菜炒め」の味は衝撃的でした。

これまで食べたきた中華料理やラーメンとは全く違う、スパイシーな料理でした。

18歳の僕は「台湾の料理はこんなに美味しいんだ!絶対に台湾にいこう!」と思ったものです。2003年に初めて台湾を旅行して、味仙は名古屋料理と知るのですが。

今考えると嘘みたいな話ですが、1990年代後半、日本と台湾は近いとはいえ、今ほど気軽に行ける国ではなかったからだと思います。

僕にとって味仙の台湾ラーメンは「台湾=美食の国」を強く印象付けてくれました。

台湾が好きになったきっかけは何ですか?

いかがでしょうか?結構ベタな内容から、ローカル色が強いもの、台湾を誤解しているものもありますが、どれも、僕と台湾を繋いでくれたヒトとモノです。

その後、実際に旅行で台湾を訪れ、もっと台湾を好きになったわけですので、人生面白いなと思います。

皆さんは、どんなきっけかで台湾に興味をもったのでしょうか?よろしければ教えてください!

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コメント

  1. FS より:

    初めまして
    今年年末から3か月ほど避寒のため台南滞在を予定しています
    台南生活に関して何かアドバイスお願いできますか

  2. David より:

    FSさん

    ブログをご覧いただきありがとうございます。

    どの様なアドバイスをさせていただくか悩むところですが、
    台南の空気は汚いです。日本から使い捨てのマスクを日数分持参することをお勧めします。

    あとは、台南の街をひたすら歩いて、お気に入りの場所や物を見つけください!