こんにちは。
暫く更新が滞っていました。ごめんなさい。
というのは、私、日本へ一時帰国をしていました。そして日本から台南に戻ったあと、極度の体調不良に陥りまして、更新できませんでした。
やっと体調も回復してきましたので、再起動したいと思います。
年末年始は、ブログを閲覧する時間がある方が多いと思います。また、日本帰国時の記事も書きたいと考えています。
できるだけ多く記事を書きますので、楽しんでいただけたら幸いです。
今回は、台北へ旅行に行った時のお話です。先日、花蓮の記事を書きましたが、
花蓮に来たら必ず行ってほしい果物店「西瓜大王」と、花蓮名物店2店に行ってきた
花蓮の有名ワンタン店が年内休業だったので新規開拓!「花蓮扁食店」「花蓮香扁食」
花蓮のついでに行った台北でのお話です。
台北と私
僕が初めて台湾を訪れたのは2003年8月です。今から14年以上前!!!!時の経つのは早いです。
当時、僕はサラリーマンでした。僕が勤めていた会社は、お盆休みが無く、夏季の好きな日に4連休が取れる制度だった思います。
当時、台湾ではSARS(重症急性呼吸器症候群)が大流行しており、台湾への旅行者が激減していました。
従って、台湾行きの航空券が大変安かったので、台湾にふらっと旅にでました。
初めての台湾は、これまで行ったことのある外国とは違い、親しみやすく、たちまち台湾の虜になりました。
その後、台湾高速鉄道が開通する2007年までは、毎年台北を旅行しました。高速鉄道開通前、台湾へ3泊4日の旅行では、南部には時間的に行き難かったです。
昔は台湾旅行=台北旅行でした。
高速鉄道開通後は、台湾南部の高雄や台南の魅力に取りつかれて、今年の9月に台南に移住して3か月が過ぎました。
ここ数年の僕は、桃園空港着でも台北には寄らずに、台湾南部へ直行というパターンです。
今回、レンタサイクルyou-bikeで、ただひたすら台北市内を自転車で走りました。台北をじっくり見るのは3年ぶりくらいです。
現在は台南人、また、10数年前の台北を見ていた僕が感じた、現在台北について語ります!
昔は古くて小さい店だったのに。。。阜杭豆漿の行列に驚く!
西面のホテルから自転車を走らせ、善導寺駅の近くにある有名豆乳店「阜杭豆漿」があります。
僕が初めてこのお店に行ったのは、2004年です。たしか、台北ナビを見て、美味しそうだな思って朝食を食べにいきました。
当時も現在と同じ、華山市場の2階にありましたが、パイプ椅子と、古いテーブルの席少しあって、15人位座ったら満席の小さい店でした。
当時は、持ち帰りの行列がありましたが、常識の範囲内。多くても5人くらいの行列だったと思います。
店内飲食は、並ばずに食べることができました。
久しぶりにお店にいってみると、平日の朝9時前で1階まで行列ができていました。このお店に一体何があったのでしょうか?
中山駅のIDEEが三越になっている!中山地下街が誠品書店になっている!
阜杭豆漿に驚いたあと、MRT中山駅周辺に向かいます。
この辺りは、金回りが良かったころ、リージェントホテル、アンバサダーホテルなどに泊まっていたので馴染みがあります。
中山駅の直上に三越南西店があるのはご存知の方も多いと思います。しかし、三越南西店のとなりに、「IDEE」というデパートがあったのを知ってますか?
※日本の良品計画(無印良品)傘下のお洒落雑貨店「IDEE」とは違います。
台北のIDEEは、2館体制で店舗展開していた記憶がありますが、現在は、全て三越になっています。パルコみたいな感じの店だったと記憶しています。
あと、薄暗い地下街だった中山地下街が、全て誠品書店になっているのが驚きました。しかし、誠品書店のお客は少なかったです。続けていけるのか?注目です。
まだ新しいのに龍山寺地下街が寂れまくってる
自転車は龍山寺駅へ向かいました。MRT駅に直結して地下街があります。
僕の記憶が確かならば、2005年くらいに新規開業した地下街だと思います。僕が初めて龍山寺を訪れた時は、地下街が建設中だったのを覚えています。
久しぶりに訪れた龍山寺地下街は、開業して10年程度しか経っていないとは思えないくらい寂れています。廃墟の風格すら感じます。
店舗も按摩屋と、カラオケ屋くらいしかありません。
台北に詳しい方ならご存知だと思いますが、龍山寺付近は治安が良くない場所です。そういったことも影響しているのかもしれません。
そもそも、何故、ここに地下街をつくったのが謎です。台湾には謎の箱物が多い気がします。
中正記念堂の裏にあった「眷村」が更地になってる
龍山寺で廃墟マニア心をくすぶられた僕は、中正記念堂近辺へ自転車で向かいます。
目的地に向かう前に、有名店「金峰」で魯肉飯を食べます。
台北で食べる魯肉飯は、台南の味に慣れしまった現在では、「さっぱりしてて迫力ないな」と感じてしまいます。
・眷村とは?
1949年、中国大陸で内戦で中国共産党に敗北した中国国民党は台湾に逃れた。眷村(けんそん)は、その際に移住した人々の住宅問題を解決するために設置された移民村
数年前まで、中正記念堂の裏手には大きい眷村があり、人が住んでいました。
大都会の台北の中心で、平屋の家が立ち並んでいる光景は、違和感がありまくりでした。
久しぶりに訪れたら、眷村は無くなって広大な更地となっていました。住人はどこへ行ったのだろうと気になると同時に、
眷村があるときに写真を撮っておけばよかった!と後悔しました。
時の流れは早い!やりたいと思ったら直ぐやろう!
今回久しぶりに台北を見たわけですが、流石一国の首都、台北は都市整備へ金かけています。また空気も台南に比べ綺麗です。
↑唐突な締めになりますが、久しぶりに台北を見て、今更ながら時の流れの早さを実感しました。人間なんてあっという間に歳を取ってしまいます。
僕ももう若くありません。やりたいと思ったら、うじうじ考えず、どんどん実行していこう!と思い知らされた台北旅行でした。
台北から台南への移動は2列の高速バスで快適でした!